1.学習のようす


小学校の子どもたちはどのように変わっていったのでしょう?
卒業写真(そつぎょうしゃしん)で見てみましょう。
これらの写真は、海老名で一番古い小学校の海老名小学校のものです。



 明 治 時 代 (めいじじだい)
    (め い じ じ だ い)

みんな着物をきて学校に来ていた
んですね。
学校で勉強する生徒は男子の方が
多く、女子はなかなか学校に行くこと
ができませんでした。
この写真でも、女子は前の列に5人
しかいません。

 明 治 時 代 (めいじじだい)
   (た い し ょ う じ だ い)

大正時代になると、女子もほとんどの
子が学校に通えるようになりました。
クラスは、男子のクラスと女子のクラ
スに分かれていました。
この写真は、女子クラスのものです。
校長先生がりっぱなヒゲをたくわえ
ていますね。


この写真は、大正11年(1922年)の
ものです。
この次の年に、関東大震災(かんとう
だいしんさい)が起こり、海老名でも
大きな被害(ひがい)が出ました。


昭 和 時 代
   (し ょ う わ じ だ い)

この写真は、昭和10年(1935年)の
ものです。
生徒の服装(ふくそう)は、明治のころ
とそんなに違っていませんね。
ただ、何人かは学生服をきている生徒
もいますよ。見つけられるかな?
男子クラスの写真です。



この写真は上の写真と同じ時の女子
クラスのものです。
この中にも、洋服をきている生徒が何
人か見られます。



この写真は昭和12年(1937年)の
低学年のものです。
ずいぶん洋服の子がふえましたね。
頭は、全員がぼうずでした。
くりくりしてかわいいですね。



この写真は、昭和29年(1954年)の
ものです。
昭和20年(1945年)をさかいにして、
日本の社会は大きく変わりました。
学校では、男子と女子がいっしょに
勉強するようになりました。
男子は、学生服にぼうず頭、女子も
制服に、おかっぱ頭でした。



この写真だけは、社家分校のもの
です。
昭和50年(1975年)ごろのものです。
かみの毛や服装(ふくそう)が、今
のように自由になってきているのが
分かります。